奈良県支部
【第4日目:8月14日夕刻〜】

 ☆ ジャナカラージ邸訪問

インドの映画館は、本当に味わい深いものでした。熱狂し、腕を振り上げ、最高にゴキゲンな観衆と壁を走り回りながら人間と一体になって喜ぶゴキブリたち。おおらかさが頂点に達する究極の体感シネマゾーンなのでした。

映画鑑賞のあと、バーシャの側近中の側近を演じたジャナカラージさんの邸を訪問するとのことです。

ナグマ演じるプリヤから指名を受け、彼女をオートリクシャーの座席に乗せて、アブれたマニカムら他の連中を尻目に、左手でリクシャーのエンジンを引きがけしながら「バ〜イ!」と得意満面のニコニコ顔で右手を振り振りする名シーンは、彼の最高の持ち味シーンとしてラジニファンに鮮烈な印象を刻みつけました。他に、パダヤッパでは、伝説のバーン売りを演じるなど、ラジニ作品の重要な脇役として大活躍のジャナカラージさんなのです。

ジャナカラージ邸へ行くまでの間、オートリクシャーの座席で揺られながら、道ばたで客待ち中のオートリクシャーを見かけるとスグマールさのリクシャーではないかと目をやってしまいます。やはり、スグマールさんのリクシャーに乗っていないとしっくりこないのです。彼のニコニコ顔と「オジャマー!」と屈託なく呼びかける声が耳に聞こえてくるようです。

ラジニカーント、センディル共に本人不在で奥様との会見でしたが、ジャナカラージも超売れっ子の身、邸に不在の確率は非常に高いものがあります。

オートリクシャーにしがみついて揺られていると突然、ジャナカラージ邸に到着しました。あたりは、もう夕闇が迫っています。各リクシャーから降りたメンバーが、ジャナカラージのスタッフに導かれて、邸の巨大な鉄門扉を入ったとたん、彼が立っていました。

堂々たる体格のジャナカラージ本人です。

正真正銘のホンモノです。

横縞のシャツを着て黒いズボンをはいたジャナカラージは、おなかが妊婦のようにせり出しております。バーシャの頃よりかなり太ったようです。独特のジャナカラ・スマイルで日本からの不意打ちメンバーをにこやかに迎えてくれました。

彼の後ろには、見事な紫色のオートリクシャーが飾ってあります。やはり、バーシャで演じたアートカラーンの思い出からなのでしょうか。

メンバーは興奮しながら、次々にジャナカラージとのツーショットあるいはスリーショットの写真に収まっていきます。写真のバックに紫の特製オートリクシャーがしっかり写り込んでいます。

しばらくジャナカラージと立ち話で歓談したあと、ジャナカラージは日本からのメンバーに満面の笑顔で合掌しながら別れの挨拶を述べ、彼の超高級車に乗り込むと邸を出て行きました。どうやら、外出直前にお邪魔したようです。間一髪で、本人に会えるという幸運でした。

 ☆ 懐かしのアショカさんとの対面

ジャナカラージ邸を後にして、メンバーは夕食のためサラバナ・バーバンに寄り、思い思いの食事をしてアルナチャラホテルに戻ります。

ホテル前にたむろする客待ちオートリクシャーの1台にスグマールさんの輝く笑顔を期待しながら、ホテルへの最後のリクシャーに揺られます。
後、数時間でホテルを後にし、チェンナイ空港に向かわねばなりません。
もうひと目スグマールさんに会いたいと、思いは募るばかりでした。

アルナチャラホテルに着くと、ホテル前に長身のスラリとしたインド人が我々を待ち受けておりました。

彼こそは、懐かしの

アショカ・バラクリシュナン
その人でした。

1999年夏、前年の大ヒット「ムットゥ〜踊るマハラジャ」の余勢をかって公開された「アルナチャラム」。上映館にはJTBの特別ツアーのパンフレットが置かれていました。「現地でラジニカーントの最新作パダヤッパを見よう!」と銘打たれたツアーです。完璧にラジニカーントにハマっていたおじゃまん&ランガは一も二もなくこのツアーに参加することにしたのです。

ツアーは1999年11月中旬から下旬にかけて実施されました。
初めてのチェンナイ。このとき、現地でかいがいしくツアーメンバーをお世話してくれた人がこのアショカさんだったのです。180センチを越す長身で、スラリとした体型、ハンサムな北インド系の顔立ちと流暢な日本語を駆使する気だての優しいインド人。涙もろく、ラジニカーントの解説中、思いあまって泣きながら訴える彼の日本語は、もはや理解不能でした。それでも彼の情熱に、参加したメンバーはもらい泣きしてしまうのです。そんな、人情が服を着て歩いているようなインド人が、アショカ・バラクリシュナンその人なのです。

5年ぶりの再会。ランガも懐かしさに興奮を隠し切れません。
アショカさんと何度も抱き合い、再会を喜ぶおじゃまん&ランガでした。
アショカさんは、仕事のためタミル州外に出かけていましたが、我々がチェンナイに来ていることを聞き及び、急遽引き返して来てくれたのでした。何という、律儀なインド人でしょう。アショカさんは、自分の弟子だというハイティーンの男の子二人を連れてきていました。

 ☆ ユキコさんとの別れ

途中からメンバーに加わっていたユキコさんと、ここでお別れすることになりました。彼女は、あと10日ほどチェンナイに滞在し、日本に帰るとのことです。
彼女の旅の安全を祈りながら、ホテル前でユキコさんと別れました。

 ☆ スグマールさん見あたらず

アショカさんとの再会の興奮がおさまり、ユキコさんを見送ってから、おじゃまんはホテル前にたむろしているオートリクシャーをチェックしました。しかし、スグマールさんの姿はどこにもありません。彼も、ゆっくりしてはいられないに違いありません。生活がかかっているのです。
タイミング悪く、はぐれてしまった彼は、気持ちを切り替えて次の客を拾いに出かけたはずです。今、夜のチェンナイ市内のどこかをスグマールさんのオートリクシャーが元気に走り回っていることをイメージして、彼の今後の活躍を祈り、彼との再会をあきらめることにしました。

 ☆ マダンさんの情熱

メンバーがホテルから出発するのをアショカさんが見送ってくれるとのことで、彼にはロビーで待ってもらい、出発までの時間を利用して部屋に戻り、急いで帰り支度をすることになりました。
やがて、全員が支度を整え、ホテルロビーに集まります。

アショカさんと雑談していると、てつのすけさんの部屋の方から二人の若いインド人がてつのすけさんを先頭に現れました。
インターネットのラジニファンクラブのチェンナイ責任者であるという二人です。彼らもこのメンバーをわざわざ見送りに来てくれたとのこと、いやぁ、今回のツアーは、様々な人と出会うことができました。

空港までは、チャーターしたマイクロバスになります。
マイクロバスが到着すると、アショカさんが先頭に立って、弟子の男の子二人を使ってメンバーの大量の荷物を積み込んでくれます。大きな旅行カバンは、すべてマイクロバスの屋根の上にのせます。大変な作業です。ようやく、荷物を積み込むと、マイクロバスはゆっくりとホテルを出発します。アショカさんとお弟子さんがいつまでもいつまでも手を振って見送ってくれていました。

空港に向かうマイクロバスの中では、チェンナイでの様々な思い出話に花が咲きました。運転席の横に座ったマダンさんが、異様にはしゃいでいます。すぐに我々を追いかけるように、日本にやってきて、スブ先生のインド料理店で活躍するマダンさんです。日本への期待が嫌でも彼を饒舌にさせるのでしょう。

空港へ到着し、マイクロバスから荷物を降ろし終えると、一行は行列を作って空港内に入りました。空港の前の鉄柵のところからマダンさんが大声で我々に手を振り、見送ってくれています。メンバーは、一列になって搭乗手続きの行列に並びます。行列は、なかなか前に進みません。
しかし、マダンさんは我々が見えている間中、

何かわめきながらも大きく手を振り、
見送り続けています。

とうとう、鉄柵によじ登って手を振り始めました。周囲のインド人に注意されて引きずり降ろされています。

情熱の固まりのようになったマダンさんの姿が、ようやく我々の視界から消えましたが、マダンさんのことです。しばらくは手を振り続けていたことでしょう。ありがとう、マダンさん、あなたのおかげで本当に楽しいチェンナイでした。気を付けて、日本に来て下さい。また、お会いしましょう。

つづく...


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