奈良県支部
【第3日目:8月13日午後】

 ☆ スグマールさんの出迎えぶり

ミールスに堪能し、店を出ると専属オートリクシャー4台がメンバーを待っていてくれてました。スグマールさんがおじゃまんを見つけると、人懐っこい笑顔で顔面をクシャクシャにして「サー、サー!」と手招きしてくれます。サーというのは、ラジニ・サーなどと言うときに使う、男性に対する尊称のSirです。おじゃまんはSirなどと呼ばれたことは生まれて初めてなので、くすぐったいような、うれしいような、変に舞い上がった気分になってしまいました。サー、どうしたものか。とりあえず、「ナーン、アートカラーン!」と手を振って大声を張り上げました。アホの一つ覚えです。

いったんホテルにもどり、少し休憩した後、ついに現地テレビ局からの取材を受けることになります。

 ☆ 単独旅行中の日本人女性がメンバーに合流

ホテルに帰ると、ホテルロビーに20代半ばぐらいのチャーミングな笑顔の日本人女性が我々を待っていました。彼女は、ユキコさんという方で、兵庫県加古川市在住の女性です。我々が来る1週間ほど前に単独でインドにやってきて、知り合いの家を拠点にチェンナイを楽しんでいるとのことです。

昨日、ユキコさんが食堂で食事中、アルナチャラホテルに10人ぐらいの日本人ツアー客が宿泊しているとの情報を耳にして、是非とも合流したいとてつのすけさんに連絡があったそうです。ユキコさんをメンバーに迎えて、これより総勢12名の日本人でのチェンナイ漫遊が続きます。

 ☆ 現地テレビ局による取材〜踊るみずさわさん♪

取材は、テレビ局まで出向いて行われるとのことで、テレビ局からランドクルーザーみたいな取材車両が1台ホテルまで迎えにやって来ました。
メンバーは、定員オーバーをモノともせず、ギュウギュウ詰めで乗り込みましたが、てつのすけさんとマダンさんは乗り切れず、ランドクルーザーが先発隊をテレビ局に送り込んだ後、再度ホテルにてつのすけさん、マダンさんを迎えに戻り、ピストン輸送するとのことでした。

テレビ局は、ホテルから車で20分ほどのところにありました。テレビ局の正門は、大きくて真っ黒な鉄門扉でした。この門扉が観音開きに開かれると、超満員のランドクルーザーは敷地内にすべり込み、日本人を吐き捨てるように降ろすと、その足でてつのすけさんとマダンさんを迎えにホテルに引き返しました。

引率責任者のてつのすけさんとサポーターのマダンさんが欠けたメンバーは、早くも烏合の衆と化し、テレビ局の庭で右往左往しております。 すると、建物の中から数人の男性がドヤドヤと出て来ました。この中に、このテレビ局の最高責任者であるバラッティラージャ氏がいました。

バラッティラージャ氏は、以前ラジニカーント主演の映画を監督したこともある大変有名な方なのです。小柄でズングリした体型。顔の色はかなり黒く、非常に鋭い目つきであたりを睥睨しております。一口に言って、とっても怖い顔です。バラッティラージャ氏、我々を見てニコニコしながら歓迎の言葉を投げかけてくれているようですが、言葉の意味が判りません。それよりも、ニコニコ顔にもかかわらず、なおかつ怖い顔が世の中に存在するという事実をおじゃまんは初めて知りました。

バラッティラージャ氏は、早口のタミル語で上機嫌にまくし立てています。それに応戦するかのように、スブラマニアン・タミル語教室の模範生であるエミリンさんが、何とかカタコトのタミル語でバラッティラージャ氏とやりとりしてくれています。ところが、その合間を縫って、リーさんが掟破りの奈良支部員名刺を取り出すや、強引にバラッティラージャ氏に手渡しました。バラッティラージャ氏、ちょっと驚いて、サウンダリヤーの写真入りの図々しい名刺を手に取り、アルファベットで書いてあるリーさんの本名を声に出して読み始めましたが、リーさんはたたみかけるように

「アイアム ジャパニーズ
サウンダリヤー!」

と言ってのけたのです。あっけにとられるバラッティラージャ氏。さらに、リーさんの横にいたランガがすかさず

「アイアム ジャパニーズ ミーナ!」

と臆面もなく吠え立てます。もはや、あきれ顔のバラッティラージャ氏。エミリンさんまでもが

「アイアム ジャパニーズ
ニーランバッリ!」

と言い出して、さすがのバラッティラージャ氏も、ここにいる連中がただ者ではなく、遠路はるばる日本からやって来たツワモノぞろいの熱狂的ラジニファンだと、心の底から納得したご様子。後は、大爆笑になりました。

そうこうしているうちに、てつのすけさんとマダンさんが無事到着、やっと取材陣とのコミュニケーションが十分に取れる体制になりました。

ユキコさんをのぞく全員がラジニTシャツで武装しておりますが、みずさわさんに至っては、昨夜手に入れたドーテをさっそく着込み、上にブルーのラジニTシャツを着て、ドーテと一対になる超ロングバスタオル様のものを左肩にかけるという完全武装ぶり。

しばらくすると、テレビ局から熱〜いチャイが全員にふるまわれました。
フーフーいいながら飲んでいると、見覚えのある長身の男性が建物からゆっくりと現れました。その男性は、メンバーに目を止めると、極上の笑顔に変わり、大きく手をあげて懐かしそうに親愛の声を発したのです。
何と!彼こそはバイラ・ムットウ氏その人でした。
バイラ・ムットウ氏は、タミル映画音楽界最高の作詞家と呼ばれ、ヒット曲の歌詞は、ほとんどがバイラ・ムットウ氏の手になるものと言っても過言ではありません。

2003年1月12日、折から来日中のバイラ・ムットウ氏は、関西ラジニファンの総帥もとはなさん、てつのすけさんのラブコールを受けて京都市内のインド料理店アショカに現れました。もちろん、奈良支部からもできる限りの支部員が駆け付けました。おじゃまんなどは、一張羅のクルタを持ち込み、その背中にバイラ・ムットウ氏の直筆サインをいただきました。その席上、バイラ・ムットウ氏への感謝の気持ちを込めて、駆け付けたラジニファン全員で、映画「ムトゥ〜踊るマハラジャ」より、バイラ・ムットウ氏の傑作「オルヴァン・オルヴァン」を熱唱したのです。バイラ・ムットウ氏の驚きようと、喜びようは大変なもので、チェンナイに戻ってからも関係者に対し、「日本のラジニファンの人たちが寸分違わぬ正確なタミル語でオルヴァン・オルヴァンを歌ってくれた」と大感激しておられたそうです。

そんな、バイラ・ムットウ氏は、てつのすけさん、エミリンさん、リーさんの顔を見ると、あの夜のことが脳裏によみがえったのでしょう、

「キョート、キョート!」

を連発して踊り出さんばかりに喜んでおられました。その間隙を縫って、ユキコさんがバイラ・ムットウ氏とちゃっかりツーショットの写真を撮ってもらっておりました。隅に置けません。超多忙なバイラ・ムットウ氏です。迎えに現れた高級乗用車に乗り込むと、一陣の風のように去ってしまいました。

さて、テレビ局の庭では日本が誇るSONY製のプロ仕様ビデオカメラを肩に担いだ専属カメラマンと助手が登場。ツアーメンバーの狂信的ないでたちを、なめるように撮影していきます。すかさず、きえちゃんが取り出したラジニ仕様の特製ケータイに気付くや、カメラがケータイをアップにしようとグングン近寄って行きます。世界に唯一の見事なラジニケータイにテレビ局のスタッフもびっくり仰天です。

しかし、この場の主役はやっばりてつのすけさんです。流ちょうなタミル語を駆使しながら、スタッフとの打ち合わせに入っております。どうやら、てつのすけさんに対するインタビューから始まるようです。

まず、マダンさんがレポーターの代役を務めてリハーサル開始。バラッティラージャ氏のオーケーが出て、テレビ局の専属レポーターと代わって再度リハーサル。ところが、マダンさんよりも専属レポーターが下手クソだったようです。見ていたバラッティラージャ氏、突然、怖い表情で駆け寄るなり、専属レポーターの頭を平手で張り飛ばしたんです。この時のバラッティラージャ氏の形相は、憤怒の表情で、実に怖かったです。ビデオ撮影中のおじゃまんも、一瞬ふるえてしまいました。

やがて、本番開始。てつのすけさんが専属レポーターからの質問に答えたあと、異様な風体のみずさわさんにカメラが向きますと、みずさわさん、左肩にかけたバスタオルをぎこちなく回転させたあと、パダヤッパの一節をやや調子っぱずれに歌いながら踊り出しました。テレビ局スタッフは大爆笑。ビデオ撮影していたおじゃまんも思わず吹き出してしまいました。

続いてエミリンさんがインタビューされたあと、エミリンさん、リーさん、ランガ、みずさわさん、てつのすけさんに専属レポーターまで加わって、全員が首に黄色のタオルをかけ、横一列に肩を組んでバーシャのナーン・アートカラーンを歌い踊りました。ラインダンスよろしく足を片方づつ振り上げますが、これが、見事にそろっておりました。まったくもって感動的なシーンでした。

終始笑い声の絶えない和気あいあいの撮影風景です。最後は、専属レポーターがカメラに向かって何やら早口でまくしたてたあと、メンバー全員がカメラマンの方に猛ダッシュで駆けだして、腕を突き上げて

ゥオーーー!!!!

と雄叫びを上げるシーンですべての撮影が終了しました。

この取材番組は、バラッティラージャ氏率いる新テレビ局「タミル・ティライTV」開局記念特別番組として9月4日に全世界に向け放映されるとのこと。日本の濃ゆ〜いラジニファンの姿を全世界のラジニファンは、どう感じるのでしょうか。実に楽しみなこってす♪

つづく...


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